夕方成田発、同じ日の朝にサンフランシスコ着。風邪ぎみだなあと思いつつも、そのまま会社へ。
風邪をこじらせたらしい。実家があまりに寒かったのでちょっとやばいと思ったが、風邪のひきはじめでの寝台列車泊と飛行機機中泊の連続はきつかったということ。
2週間の休暇があけた直後なのに会社を休む。仕事がたまっているんだけど、起きてるのがつらい状態。
一日中寝て、夕方Walgreensにいって薬を物色。総合感冒薬と、咳に効くシロップ、胸に塗る薬を購入。全部使ってまた寝る。Monicaがでっかいオレンジジュースを買ってきてくれた。
朝、Monicaから、「反戦デモに行くんだけど行かないか?」と誘われる。そういえば、デモのビラがいろんなところに貼ってあったなあ。行ってみるか。
一緒に行く約束をしてるとかで、まずMUNIに乗ってAlamo Squareの近くの家へ。Monicaの友達のBessy, その彼氏のJohn, もう一人シェアメイトのYoremの3人に紹介された。3人とも行くらしい。準備できるまで、トーストと紅茶をごちそうになる。
食べながら、Bessyと話す。「そういえば、東京でも同じデモがあったみたい。僕も日本のニュースで読んだよ。東京は(時差で)明日になってるから、もう終わってる」「日本でもやってたんだ。どれぐらいの規模だったの?」「たしか、7千人だったかなあ」「それって多い?」「いや、大東京で3千万人都市だから、いわゆる"活動家"みたいな人だけなんじゃないかな」
歩いてMarket Streetへ。Civic Centreに着いた頃には、通りは車が入れないように警官に封鎖されてて、既にむこうから大通り一杯の人たちが、思い思いのプラカードを持って歩いてきてた。多かったメッセージは、たぶん"No blood for Oil", "No war on Iraq" など。
Monicaはデジカメでデモを映すのに一所懸命だったので、Monicaが作ったプラカードは僕がずっと掲げてた。"Rabies Immunization, Now or Never?"(狂犬病、治すのは今しかない)という文句、ちょっとひねり過ぎの感もあったけど、何人か通りから話し掛けてきた。
始点のEmbarcaderoまで行こうとしたけど、流れに逆らってるのでなかなか難しい。Montgomery stationあたりで断念。Yoremはここで帰宅。BessyとJohnは、一旦お茶して休むというので別れ、そこからはデモの中に入って来た方角に戻ることにした。
Civic Centreまで達した辺りで、人波でまったく進めなくなる。本日のデモの参加者は15万人、という発表が伝わってきて全員が沸く。ここが終点で、代表者の演説とかを待ってるんじゃないか、ということだけど、それが何時になるのかさっぱりわからない。お腹も減ったし、飯食って帰ろうと提案。Polk Streetをあがって、最近できたっぽいタイ料理屋で遅い昼にした。食べ終わったころ、ぞろぞろと人が帰ってきたので、デモは解散したのかもしれない。
15万人というのはそれなりの数字で、実際道を埋め尽くす「普通の」人々を見てると、アメリカ人も目が覚めたのかもと思ってしまうが、これはサンフランシスコだけでの話で、全米でみるとそんなことは全然ないだろう。今日も、これだけの規模なのに全米ネットワークでのニュースではほとんど扱われてないし。
日本も、片棒かついで軍を派遣しちゃってるわけだし、他人に殺し合いをさせて利益を得ようという連中が大勢の支持を得て政権を握っていることに不安を感じる。
結果が出なければ解雇する。会社というのは儲けてなんぼだから、あたりまえのことではあるが、アメリカではそれが日常茶飯事でよくある光景なわけだ。
これまで働きがいまひとつだった部下と、話し合いをして目標を再設定させて、その第一段階の結果を待っていた。だが、どうも達成できそうにないと思ったのだろう、こちらがアクションを起す前に、自分から辞めてしまった。
全般的に景気が悪くて回復しないので、うちに限らず予算はタイトになっていく。今回の彼も、会社が絶好調なら居られたのかもしれないが。アメリカで就職した以上、自分にも充分起こりうる話だ。ベンチャーに来たからにはある程度覚悟はしている。
アメリカに来て初めてのスーパーボウル。アメリカもアメリカ人も特に好きなわけではない僕だが、アメリカンフットボールは好きで、長いこと観ている。
卒業旅行で初めてアメリカをまわった時も、フットボールファンの友達と各地のスタジアムを見てまわったものだ。もっともオフシーズンだったので試合は観られなかったが。
同僚のJasonに招待されたので行ってみた。先週引越したばかりということもあり、家を見にいったというのもある。2BR2BA(2ベッドルーム、2バスルーム)で、大きなリビングがある家。友達が持ち寄ったテレビが5台、30人ぐらいが集まって、ビールとつまみを持ってのテレビ観戦だった。
今年は湾の向こうの Oakland Raiders が出たということで、Oaklandのいいプレイでは歓声があがる。といっても、ほとんどいいところは無かったんだが。
学生の頃、ずっと時間があってもっとたくさんゲームを(TVでね)観ていたころに、たいしてパッとしなかった選手(リッチ ギャノン)が、まだプレイしていて、しかもいい選手になってるらしいのが感慨深かった。
夜のニュースによれば、Oaklandで暴動が起こってるようだ。ひどい負け方だったからなあ。勝っててもお祝い暴動が起こってたと思うけどね。
家への帰り道、Sutter&Talorの交差点、信号が青になったので渡ろうとすると、左足に衝撃。一瞬何が起こったのかわからなかったが、後ろから来たタクシーが右折で突っ込んできたのだ。
タクシーの右ヘッドライト付近に左足の膝付近をぶつけられて、タクシーは止まったが道路に倒れ落ちた。ドアの開く音がして、両脇に手を入れて持ち上げられる。なんか脚とか腕とかさすられてる。ドライバーだった。中国系の50歳ぐらいのおじさん。
「大丈夫、大丈夫」とか言われて、車に戻っていく。おいおい。大丈夫かどうか決めるのはあんたじゃないって。ドアを閉めたとこで追いついて、「大丈夫かどうかわからんから、連絡先をくれ」と言ったら、そのへんの適当な紙をちぎって、なんか書いてる。それをこっちに渡す。
とても読めないので、続けて何か言おうとすると、するするとタクシーは動き出していく。タクシーのトランクの上に大書きしてある番号を大急ぎで覚えたが、ライセンスプレートまでは見る暇もなかった。
あっけにとられ、歩道に戻ろうとしたところを、インド系の30歳ぐらいの男性に声をかけられる。事故を見てた。警察を呼んだからここで待ってろ、と。「体は大丈夫か?」と言われ、足を触ると、右足にちょっと痛みが。座ってろと言われ、歩道の縁に座る。
3,4分で、パトカー、消防車、続いて救急車がサイレンを鳴らして到着。なんか大事になってきた。救急隊員が来て、足を見る。続いて、警官に事故の状況を色々聞かれる。タクシー会社とタクシー番号を伝え、一応あの読めない紙切れも渡す。IDと住所と言われたので、パスポートを見せる。
その後、また救急隊員に交代。これから緊急病院に連れて行くから乗れ、と言われて救急車に。中のタンカに固定される。念のため、ということで胴や首も。さっきの警官がまた来て、これがおまえの事件番号だから、といって紙切れをくれた。10桁ぐらいの番号と、事件の種類が列挙してある中、"Hit & Run"(ひき逃げ)のところにチェックがついてる。
救急隊員は、メキシコ系と中国系の二人。一人は運転するようでいなくなる。上向きに固定されたまま10分ほど走って、上向きの担架のまま救急車を降ろされていく。
(昨日の続き) 担架を載せた台車が、ドアを通って病院に入っていく。をを、なんかこの天井向きの視点は見覚えがあるなあ、と思ったら、ドラマERそのまんまじゃないか。左右で台車を押してる救急隊員や看護婦が、「ちょっとそこどいて」とかなんかそんなことを叫びつつ進んでいく。
んでもって、ER(Emergency Room)に運び込まれる。天井には、つーか首が固定されてるんで天井しか見えないんだが、無影燈とかレントゲンのカメラ。左右から、医者や看護士がかわるがわる覗き込んでくる。「患者は左から来た車に足をぶつけられて、そのまま道路に転倒、」とかなんとか説明してたり、ナントカを用意しろとか、やかましい。
ERみたいだ、ってERなんだけど。もうここの人達はそんなのは聞き飽きてるだろうから言うのは我慢した。救急隊員の一人が「患者は日本人だけど、この日本人は英語を話すので助かったよ」とか言ってる。観光地だからいろんな国の旅行者とかもよく運んでるんだろうなあ。
右の人差し指に赤く光る検査機器をテープでつけられる。右腕には血圧計。あと胸に数箇所テープで電極をつけられた。全部ひもが伸びていて、頭の上のほうにある機械につながってる。自分の脈拍に応じて、ピッピッピと音が鳴ってる。
事務員が氏名や住所、生年月日等聞いてくる。また、保険を持ってるかも聞かれ、書類にサインさせられる。
次に看護士が質問。馬鹿な質問だとわかってるけど、答えてね。人生最悪の痛みが10、痛みがないのが0として、今の痛みはいくつ? よくわからんけど、2と答えた。
医者かインターンか不明だが、若いやつに、体のあちこちを触診されて、痛くないか聞かれる。右足のあざ以外は特になんともない。
んで、次はレントゲン技師に、右足のレントゲンを2方向から撮られた。ここで現像を待つためか一旦放置。
やがて医者が来て、骨に異常はないという診断。看護士が尿瓶と共に戻ってきて、出るときでいいから尿を出せという。
苦労して尿を採ったところで、ベッド毎廊下に運び出される。救急室は2つしかないみたいで、廊下にはお仲間が何人か、廊下の壁沿いにベッドで寝ている。
やがて医者が戻ってきて、尿に血は出てないので、大丈夫、と。痛み止めの処方箋を書くから、痛くて我慢できなかったら買うこと。あとは事務員と話したら帰ってよし。だって。
帰っていいと言われたのが3時。事務員に、タクシーを呼べ、と言われたけど、現金持ってないよ、といったら、病院発行のバウチャーをくれた。もちろん治療費に含まれているわけであろうけど。治療費については何も言われなかったが、後で請求が来るのだろう
10時半頃かつぎこまれて3時に解放だから、いろんな人にいろいろ何かされたけど、それぞれの間隔は15分とか30分とかで、その間天井みてボーっとしてた。夜中なので眠かったし。
タクシーに引かれて、タクシーで帰るのが妙といえば妙。病院に来たタクシーは別の会社だった。これで万一にも引いた奴が来てたら大笑いだな。
人差し指につけた計測器とか、胸に張られた電極とか、全部着けたままで家に到着。結局あざも触らないと痛くないし、不幸中の幸いか。そのまま就寝。くかー。